歴史に名を残した英雄と戦乱

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勝海舟

文政六年、勝海舟は小さな旗本の長男として、江戸に生を受けた。若いころは、剣術や蘭学、兵法などを学んでいた海舟だが、嘉永六年ペリーの来航に慌てた幕府に対し、海の防衛に関する意見書を提出する。これが幕府の目に留まり、海舟は長崎の海軍伝習所で本格的に航海術などを学ぶこととなった。万延元年、木造の軍艦・咸臨丸の艦長として、日本船としては初の快挙となる太平洋横断を果たした。帰国後は、海軍を指揮する軍艦奉行となり、一時はその職を離れるが、海軍奉行として復帰した後、慶応四年には陸軍総裁を兼務し、幕府を代表する人物となった。同じころ、明治新政府軍と旧幕府軍が激しい戦いを繰り広げており、新政府軍による江戸城総攻撃も間近に迫っていた。そこで、戦いの早期解決を図るため、海舟は旧幕府軍代表として新政府軍代表の西郷隆盛と会談を行い、新政府軍の総攻撃を退け、江戸城の無血開城を実現したのである。

真っ二つに分かれる勝海舟の人物評価

早くから坂本龍馬の資質を見抜き、江戸城の無血開城も実現した勝海舟だが、西郷隆盛らには高く評価される一方で、福沢諭吉には酷評されている。その大きな原因は、幕臣であったにも関わらず、新政府に仕えたことが一点。そしてもう一点は、咸臨丸で大失態を演じてしまったこと。海外渡航経験も外洋航海の経験もなかった海舟は、船酔いでダウン。また、船上での海舟のわがままぶりも、諭吉の目に余るところだったのだろう。

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