歴史に名を残した英雄と戦乱

HOME日本の歴史に残る英雄① > 坂本龍馬

坂本龍馬

天保六年、坂本龍馬は高知城下の町人郷士の家に生を受けた。十九歳になった龍馬は、剣術修行のため江戸の千葉定吉の道場へと入門するが、ペリーの来航に直面し、政治意識に目覚めることとなる。そして土佐勤王党が結成されると、ただちに参加。文久二年に脱藩した後、勝海舟の門下となり、神戸海軍操練所で航海術や海軍知識を学んだ。さらに慶応元年、薩摩藩と長崎の豪商・小曾根家の援助によって、日本初の株式会社と言われる「亀山社中」を結成。また、当時対立関係にあった薩摩藩と長州藩が手を結べば倒幕の大きな力になると考えた龍馬は、両藩の仲介役となり、慶応二年に薩長同盟を締結させた。亀山社中は土佐藩に帰属し改変され「海援隊」となり、龍馬はその隊長に任ぜられた。その後龍馬は、土佐藩の参政・後藤象二郎に「船中八策」と呼ばれる意見書を提出するが、これが土佐藩主の山内容堂から「大政奉還建白書」として幕府に提出されることとなる。

日本の新しい時代の幕開けを目前に、志半ばで凶刃に倒れる。

海援隊の隊長であった龍馬は、陸援隊の隊長・中岡慎太郎と常に行動を共にしていた。そして、運命の慶応3年11月15日。龍馬が隠れ家としていた京都河原町の醬油商・近江屋の二階で、龍馬と中岡は数人の刺客の手にかかり命を落とす。龍馬33歳、中岡は30歳であった。龍馬の死後、分裂状態となった海援隊は、明治元年、藩命によって正式に解散。こうして、龍馬が夢を託した海援隊も、歴史の表舞台から姿を消すこととなった。

トップへ