歴史に名を残した英雄と戦乱

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吉田松陰

天保元年、長州藩士の家に生まれた吉田松陰は、6歳にして吉田家を継いだ後、わずか11歳で藩校の明倫館で兵学の講義をするようになり、藩主である毛利敬親に「武教全書」を講じるほどであった。嘉永三年には九州や江戸など諸国を遊学。そして、嘉永六年のペリー艦隊来航に大きな衝撃を受けた。翌年ペリー艦隊が再来航すると、海外への密航を企てるが失敗。江戸の伝馬町の獄中で1年を過ごした後、萩の野山獄に幽閉されるが、ここで同獄の囚人たちに孟子を講じたという逸話もある。その後、松陰は実家に預けられ、近隣の子弟たちに兵学を講じ始めることになるが、これが明治維新の原動力となった松下村塾の本格的な活動の始まりになる。実践のための学問を教え、身分や階級を一切問わず、武士にも農民にも分け隔てなく接したため、多くの若者を引き付けた。その門下生には、高杉晋作や伊藤博文、山県有朋など、明治維新の原動力となった人物が多くいた。

口は災いのもと。老中・間部詮勝暗殺計画を自供し、処刑される。

もともと過激な思想の持ち主であった松陰は、塾生たちにテロ行為を呼び掛けるようになる。扱いに困った長州藩は、安政六年に再び松陰を伝馬町の牢へと送る。時は安政の大獄。幕府は松陰の言動を警戒していた。取り調べの最中、幕府が知っているものと思い込み、老中・間部詮勝暗殺計画を自供してしまう。こうして、吉田松陰は処刑され、わずか30歳という若さでこの世を去った。

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