歴史に名を残した英雄と戦乱

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平将門

下総の豪族である平将門は、父が遺した所領を巡り、伯父の平国香らと争いを繰り返していた。戦いは一族間の争いでは収まらず、将門は天慶二年に常陸の国衙を焼き払い、国司を捕らえ、国印と鍵を奪う。国衙とは律令制下の役所であり、その印と税を納めた倉の鍵を奪うということは、朝廷への明確な反乱を意味する。さらに将門は、下野、上野の国衙を襲い、関東八カ国を制圧すると、自分の弟や従者を国守に任命する。そして、檥橋を京の山崎、大井津を大津に見立てて、石井郷を新都と定め、自らを「新皇」と称した。また同じ頃、瀬戸内海では藤原純友が乱を起こしていた。これらのことから朝廷は、将門と純友が共謀して事を起こし、東西から都に攻め上ってくるのではないか、と考えた。そこで朝廷は、藤原忠文を征夷大将軍として討伐軍を出す。平将門の乱の翌年・天慶三年に、将門は額を矢で射抜かれ、反乱は鎮圧された。

現代も東国に生き続ける将門の魂

朝廷に反旗を翻し、覆そうとした将門は、関東の土豪にとっての英雄であった。現代でも、東京の神田明神や将門戦死の地とされる茨城県岩井市の国王神社など、関東から東北地方に将門を祀る神社が数多く残っているのは、将門が東国にとっての英雄であったからだろう。なお、京都でさらし首にされた将門の首が東国まで飛んで行き、この首が落ちたところが東京の大手町にある将門の首塚だとされている。

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