歴史に名を残した英雄と戦乱

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足利義昭

室町幕府最後の将軍・足利義昭は、12代将軍義晴の次男として生まれ、出家して覚慶と名乗っていた。しかし、松永久秀らが同腹の兄・13代将軍義輝を殺害し、傀儡将軍を立てる。そこで、義昭は足利家再興を目指して還俗、織田信長に擁立されて京に入り、永禄十一年、征夷大将軍となる。これは、将軍の座を望む義昭と、将軍を押し立てることで堂々と上洛できるという信長の利害が一致したゆえの結果である。こうして15代将軍となった義昭だが、地位は名目だけのものであった。これに不満を抱いた義昭は、自ら政治を執ろうとするが、信長の怒りを買う。そこで、義昭は武田信玄らに親書を送り、打倒信長をかかげ、天正元年に宇治槇嶋城で兵を上げるが、信玄は病に倒れ、他の武将も動かなかったため、義昭は降伏し室町幕府は滅亡。京都を追放された義昭は、幕府再興をかけて信長と対立したが、義昭の悲願が叶えられることはなかった。

将軍の権威を回復しようとした義昭。その後の人生は…

天正十六年、秀吉は義昭を京へ帰し、宇治の槇嶋に住まわせる。秀吉は義昭の後継者となって征夷大将軍の地位に就こうとしたのだが、義昭はこれを拒否。以後、義昭は室町幕府の再興をあきらめたのか、名を昌山道休と改め出家。大陸出兵のため、秀吉が備前名護屋に兵を集めた際には、義昭も軍装に身を固めて出陣したが、腫物を患った義昭は、慶長二年、61歳でこの世を去った。

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