歴史に名を残した英雄と戦乱

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日本の歴史に残る英雄③

このページでも、前回に続き日本の歴史に残る英雄を紹介する。偉人が生きた時代が古くなればなるほど残された情報は限られ、謎はさらに増えてくる。清少納言、藤原道長、源義経など、文学に残る人物であれば、そこから分かってくる人物像が大変興味深い。

聖徳太子

用明天皇の皇子である聖徳太子は、敏達三年、母親の間人皇女が厩で産気づき、そのまま出産したことから厩戸皇子と名付けられた。太子は、叔母である推古天皇の摂政として、冠位十二階や十七条憲法…

鑑真

仏教が盛んになってきた8世紀の日本。同時に、僧侶の秩序が乱れ、堕落も始まっていた。そのため、僧尼の模範となる戒律を確立し、正式な戒を授けることのできる高僧が待ち望まれていた。天平五年、第…

清少納言

多くの女性文学者が輩出した平安時代だが、とりわけ「枕草子」の清少納言と、「源氏物語」の紫式部はよく知られている。この二人は、文学の上だけでなく、仕えていた主が同じ一条天皇の妃であったという点…

藤原道長

藤原家の全盛期を築いた道長は、藤原兼家の五男として生まれた。道長は、寛和二年に従三位に、正暦二年には権大納言となるが、長男ではなかったため、当時としては出世を望める立場ではなかった…

源義経

平氏討伐で活躍した源義経は、兄・頼朝の不興を買い、奥州平泉の藤原氏のもとへ逃亡し、自刃したとされている。ところで、海とは無縁の環境で育った源義経が、平氏の水軍を打ち破ることできたのはなぜ…

徳川光圀

「水戸黄門漫遊記」のモデルとして知られる徳川光圀は、寛永五年に生まれ、水戸藩の二代目藩主となった。光圀は天下の副将軍として幕府に堂々と苦言を呈し、庶民にも慕われたと伝えられている。しかし…

寺坂吉右衛門

播磨赤穂城主・浅野内匠頭長矩の仇を取るべく、元禄15年12月14日、高家肝煎吉良上野介義央の邸に討ち入りをした四十七士。当時足軽だった寺坂吉右衛門だけが、唯一生き残った赤穂義士である。吉…

伊能忠敬

上総国に生まれた伊能忠敬は、17歳の頃、商家・伊能家の婿養子になると、その商才を発揮し、傾きかけていた伊能家を立て直した。50歳になった忠敬は息子に家業を譲り、学問を学ぶために江戸へと旅…

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