歴史に名を残した英雄と戦乱

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徳川光圀

「水戸黄門漫遊記」のモデルとして知られる徳川光圀は、寛永五年に生まれ、水戸藩の二代目藩主となった。光圀は天下の副将軍として幕府に堂々と苦言を呈し、庶民にも慕われたと伝えられている。しかし、光圀が生きた時代の水戸の庶民は、圧政に苦しみ、年貢を納めない者は拷問に遭ったという。また、光圀の死後、藩内で農民一揆が頻発したが、これは圧制への反動と考えられる。さらに光圀は、幕府から一万両もの借金をして巨船を建造し、蝦夷探検事業を行っている。この船は、幕府が許可した大きさをはるかに超えていた上に、蝦夷探検も貿易も成果が上がらなかったのか、具体的な記録が残されていない。光圀の死後、この巨船は取り壊されたようだが、借金だけは藩の大赤字として残された。そんな光圀が名君とされるようになったのは、光圀が編纂させた歴史書「大日本史」の力によるものである。

「大日本史」によって広まった虚構の光圀

光圀が藩の予算の4分の1を費やして編纂させた「大日本史」は、尊皇的思想を説いた歴史書であり、光圀の死後200年近く経った幕末になって、大きく取り上げられることとなる。さらに、吉田松陰、高杉晋作らが水戸藩を訪れた際に、水戸藩は光圀がいかに素晴らしい人物であったかを喧伝した。また、幕末の講釈師・桃林亭東玉も水戸へ招かれたが、これによって光圀の「黄門様」としての虚像が庶民の間に広がったと考えられる。

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