歴史に名を残した英雄と戦乱

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清少納言

多くの女性文学者が輩出した平安時代だが、とりわけ「枕草子」の清少納言と、「源氏物語」の紫式部はよく知られている。この二人は、文学の上だけでなく、仕えていた主が同じ一条天皇の妃であったという点でも、ライバルと見なされている。清少納言が仕えていたのは、藤原道隆の娘・定子。そして紫式部が仕えていたのが、藤原道長の娘・彰子。仲睦まじかった定子と一条天皇の間に、道長が彰子を強引に割り込ませ、入内させる。長徳元年に定子の父道隆が死亡、兄の伊周らも失脚し、定子は後ろ盾を失う。そしてその定子も、出産のため24歳の若さで亡くなる。その後、彰子が皇子を出産し、道長の権勢が確定する。外交的で活発な性格の清少納言は宮中の生活を楽しんでいたようだが、定子の没後、宮仕えを辞めて筆を断ち、田舎でひっそりと暮らしたと言われている。没落したとの説もあるが、その後のことははっきりしていない。

二人の明暗を分けたのは、仕えていた主の運命

定子と彰子が並び立っていたのはわずか一年足らずで、実際には、清少納言と紫式部が顔を合わせたことすらなかったのではないか、と言われている。定子の没後、宮仕えを辞め隠棲した清少納言に対し、紫式部は長く彰子に仕えた。積極的で活発な清少納言をやっかみ、「紫式部日記」の中で清少納言を酷評した紫式部だが、安定した人生を送ったのは紫式部であった。

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