歴史に名を残した英雄と戦乱

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源義経

平氏討伐で活躍した源義経は、兄・頼朝の不興を買い、奥州平泉の藤原氏のもとへ逃亡し、自刃したとされている。ところで、海とは無縁の環境で育った源義経が、平氏の水軍を打ち破ることできたのはなぜだろうか?実は、あまり知られていないもう一人の義経がいた。その名は山本義経。源氏の流れをくむ血筋で、その存在は「吾妻鏡」や「尊卑文脈」にも記載されている。山本義経は近江国の山本山を本拠地とし、琵琶湖で海賊行為を働く“湖賊”として恐れられていたようだ。平氏と戦い、一旦は敗走した山本義経だが、鎌倉で頼朝に出会い、家人となる。同じ頃、鞍馬山や奥州などを転々としていた源義経も頼朝と初めての対面を果たす。ここから、山本義経に関する記述が途絶え、源義経の方がめざましい活躍を始める。水軍の強さを誇っていた平氏を、屋島、壇ノ浦の海上戦で打ち破ったのは、この山本義経ではないか、という推測がこうして生まれた。

有名な「源義経=チンギス・ハン」説。2人の義経の幕引きは…

東北から北海道にかけて、義経にまつわる地名や遺跡、遺品が数多く残されているが、義経が生きているという噂は早くから流れていたようだ。江戸時代には、北海道に渡った義経が蝦夷の大王となった、という説が生まれ、さらに、北海道から大陸へ渡り、チンギス・ハンになったという説も生まれる。平氏討伐の功績は全て源義経のものとなったが、山本義経は影武者だったのだろうか?義経にまつわる謎は尽きない。

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