歴史に名を残した英雄と戦乱

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日清戦争

明治15年の壬午軍乱鎮圧以来、清は朝鮮を属国視していた。一方、日本は食料と資源の供給地として、また大陸進出のための基地として、朝鮮を支配下に置こうともくろんでいた。そして、明治27年3月に起こった東学党の乱をきっかけに、日清戦争が始まる。甲午農民戦争とも呼ばれるこの反乱は、朝鮮固有の民間信仰に儒教、仏教、道教が結びついた新興宗教で、弾圧されながら広まっていた東学党が起こした。不正官僚の糾弾に端を発する反政府運動として始まり、5月には官軍を敗北させる。これに対し、朝鮮政府は独立党を率いて甲申事変を起こし、当時日本に亡命していた金玉均を上海で暗殺。これが日本の世論を激昂させ、清が反乱鎮圧に出兵すると聞くと、日清両国の勢力を均衡するための出兵が決まった。7月25日、両国は豊島沖海域で開戦する。日本軍に優勢な戦況が続き、翌年2月、威海衛での清国北洋艦隊の降伏により、決着がついた。

勝利とともに、「世界の壁」という初めての挫折を味わった日本

明治28年4月、講和条約である下関条約が締結される。これには、朝鮮の独立承認、遼東半島、台湾などの割譲、二億両(約3億1千万円)の軍事賠償金支払いなどが含まれていた。しかし下関条約締結から1週間と経たない4月23日、ロシア、ドイツ、フランスが武力を背景に、遼東半島の返還を求めてきた。三国干渉である。これに屈した日本は、やむなく遼東半島を手放した。

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