英雄と戦乱の歴史の上にある現在
平和なように思える日本ですが、歴史を紐解けば数々の戦乱を乗り越えて今の時代があることがわかります。日本はこの狭い国土の中で、時には領土を奪い合い、時には手を取り合って協力しながら、そして近代においてはこの小さな島国で世界と渡り合いながら歴史を刻んできたのです。
この戦乱の歴史を重ねて、今の平和な日本になるまでには、数々の英雄が生まれ、そして命を散らしていきました。豪族の時代から戦国時代へ、天下泰平から幕末の大政奉還までの戦い、そして日清、日露、世界大戦へと続く歴史。教科書で習う歴史的人物の名前は実際にはごく一部に過ぎず、名前すら残されていない蛮勇が数多く存在しているのです。
もう一度、日本の歴史を振り返ってみましょう。学生時代に習った覚えがある名前があるかもしれません。ほとんど忘れてしまっていた名前もあるかもしれません。しかし、こういった英雄たちが今の日本を作っていることは揺らがない事実なのです。
誰もが知る歴史的英雄の名前
誰もが知っている英雄の名前といえば、誰を思い出すでしょうか? 古くは源平時代の源義経や頼朝、武田信玄や伊達政宗、真田十勇士といった戦国時代の名将たちや、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった天下統一を成し遂げるに至る英雄たち、そして幕末に活躍した新選組の土方歳三、沖田総司、明治維新に絶大な影響を与えた坂本龍馬などは、誰もが名前を知ることになる日本屈指の英雄と言えるでしょう。
また、歴史の動きには大きく関わってはいませんが、大いなる偉業によって名を残している英雄も多く存在します。例えば源義経の片腕として戦った武蔵坊弁慶は、次々と決闘を申し込んではこれに勝利し、999本もの刀を奪いましたが、1000本目となるはずだった牛若丸(後の義経)との決闘で敗れ、配下に加わった逸話が有名です。伝説的なものであり、事実である可能性は薄い逸話ではありますが、英雄であるがゆえに生まれたエピソードと言えるでしょう。他には優れた剣豪として名を馳せている宮本武蔵や柳生十兵衛、古くは屋島合戦の弓競りで名を挙げた弓の名手、那須与一なども有名ですね。
日本の歴史に名前を刻んでいる英雄の多くは、武勇によってその存在を後世へと伝えています。そして、多くは悲劇的な最期を遂げているということも忘れてはなりません。戦乱は勝者だけではなく、敗者も生み出しています。
歴史の転機となった戦乱の数々
日本の歴史を変えてきた戦はたくさんあります。詳しくはサイト内でのコンテンツでもご紹介していますが、やはり日本の歴史を語る上では、戦国時代と幕末の戊辰戦争、明治初頭に起こり、日本の歴史においては最後の内戦である西南戦争、日清戦争、日露戦争などは外せないと考える方も多いでしょう。日清・日露戦争で世界的に有名になった英雄として、海軍の東郷平八郎があげられます。世界三大提督の一人とされ、「東洋のネルソン」との異名をとっています。
日本対特定の国の戦争ではありませんが、第一次世界大戦、そして日本の歴史に大きな転機をもらたした第二次世界大戦は、決して忘れてはならない戦争です。当時の日本は列強国から孤立し、また世界恐慌にあって自由貿易で国力を蓄えるのは難しい現状にありました。世界的な戦争が起こったのも、それに参戦せざるをえなかったのも皮肉な運命と言えるかもしれません。第二次世界大戦の英雄としては、日本海軍連動艦隊を率いた山本五十六が有名ですね。第二次世界大戦では、多くの英雄が戦死し、または戦後に戦争責任を問われることとなりました。
また、戦争を別の側面から見た英雄としては、杉原千畝があげられるでしょう。第二次世界大戦当時、リトアニアの領事館に勤める外交官だった彼は、ナチス・ドイツに迫害された難民に同情して命令に反してビザを大量に発行、6000人もの人々を救ったため「東洋のシンドラー」とも呼ばれています。
現在にも存在する日本の英雄たち
現在の日本は、日本国憲法9条により戦争放棄を定めています。誇るべき平和な国です。しかし、この平和な日本は多くの戦乱を乗り越えたうえでなりたっているのです。
戦乱が起こっていなくとも、現代の日本にも英雄はいます。メジャーリーグで活躍する日本の野球選手、野茂英雄選手や松井秀喜選手、今もなお世界的な野球選手として伝説的となっているイチロー選手は、現代の英雄といってもいいのではないでしょうか?また、近年ではフィギュアスケートでも世界的な活躍をする選手が増えており、特に羽生結弦選手はフィギュアスケート史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えという偉業を達成しています。
日本という国の歴史と共に現れ、その名をとどろかせた英雄たち。その名前と偉業、日本を成してきた戦乱の歴史を振り返ってみましょう。そこには、現代に繋がるルーツがあるはずです。