歴史に名を残した英雄と戦乱

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井伊直弼

安政の大獄を強行し、尊王攘夷派を弾圧したことで知られる大老・井伊直弼は、彦根藩主・井伊直中の十四男として文化十二年に生まれた。ゆくゆくは大老の地位まで登り詰める直弼だが、その前半生は権力とは縁遠いものであった。しかし、兄たちやその子らが次々と病死したため、嘉永三年、36歳で彦根藩主となった。有能な藩主として善政をしいた直弼の政治能力が高く評価され、安政五年には幕府の最高職である大老として迎えられることとなる。しかし同年、朝廷の許しがないままに日米修好通商条約に調印し、徳川慶福を強硬に推して十四代将軍とした。そして、これに反対する大名や、吉田松陰、橋本左内などの藩士たちを、安政の大獄で厳しく処断。これに激昂した水戸浪士たちが、2年後の万延元年3月3日、江戸城に登城途中の直弼を桜田門外で暗殺する。これが、桜田門外の変である。それから7年後、江戸幕府が倒れることとなった。

家名断絶を逃れるために、井伊家がとった行動とは?

直弼の首を刀の先に突き刺して歩き出した浪士の一人が、遠藤但馬守の役宅の前で自決した。遠藤家はやむなく首を邸内に収めたが、一方の井伊家は首の行方がわからず困り果てた。大名が横死したり、跡目相続をしないまま死んだりした場合は、家名断絶となる定めがあったからである。どうにか首を受け取った井伊家は、首と胴体を縫い合わせ“療養中”と届け出た上で、直弼の次男・直憲を後継者とし、家名断絶を逃れたのである。

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