日本の歴史に残る英雄②
このページでは、前回に続き日本の歴史に残る英雄を紹介する。歴史に名を残すほど有名な人物であっても、やはり謎が残る人物は多い。例えば、織田信長を裏切り本能寺の変を起こした明智光秀だが、その理由は諸説ある。それらの説を調べ、考察してみるのも面白いだろう。
毛利元就
明応六年、毛利元就は安芸国に生まれた。元就は、戦乱の世における兄弟の和を説いたことで知られているが、実際に彼の息子たちは協力し合い、毛利本家を盛り立てていくのである。臨終の床に就いた元…
小早川秀秋
豊臣秀吉の正室、北政所ねねの甥として生まれた小早川秀秋は、幼少期は秀吉の養子として育てられていたが、文禄二年に小早川隆景の養子となり、わずか13歳にして筑前・筑後の領主となる。慶長二…
明智光秀
天正十年、主君である織田信長を本能寺で急襲し、自害させた明智光秀は「三日天下」という言葉でもよく知られている。本能寺の変の後、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、落ち延びる途中の山科で土民に殺…
徳川秀忠
徳川二代将軍・秀忠は、家康の三男として生まれた。しかし、長兄・信康が自刃し、次男・秀康は秀吉の養子となっていたため、偶然のように秀忠が世継ぎとなったのである。秀忠の武将としての能力は乏し…
高山右近
天文二十一年、高山右近は摂津高山の飛騨守の長男として生を受けた。右近の父はキリスト教信者であり、右近自身も十二歳で洗礼を受ける。高槻城城主となった右近は、荒木村重の配下となるが、天正…
足利義昭
室町幕府最後の将軍・足利義昭は、12代将軍義晴の次男として生まれ、出家して覚慶と名乗っていた。しかし、松永久秀らが同腹の兄・13代将軍義輝を殺害し、傀儡将軍を立てる。そこで、義昭は足利家再…
原敬
「平民宰相」と呼ばれる原敬だが、祖父は南部藩の家老、父も藩の重役と、実際は高い家柄の出身であった。その後20歳で分家独立し、平民の身分となる。やがて、新聞記者から官僚となり、寺内正毅内…
平将門
下総の豪族である平将門は、父が遺した所領を巡り、伯父の平国香らと争いを繰り返していた。戦いは一族間の争いでは収まらず、将門は天慶二年に常陸の国衙を焼き払い、国司を捕らえ、国印と鍵を奪う…