歴史に名を残した英雄と戦乱

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毛利元就

明応六年、毛利元就は安芸国に生まれた。元就は、戦乱の世における兄弟の和を説いたことで知られているが、実際に彼の息子たちは協力し合い、毛利本家を盛り立てていくのである。臨終の床に就いた元就が、長男の隆元、次男の元春、三男の隆景に語った「三本の矢」の逸話は非常に有名である。この逸話には矛盾点があるものの、元就が息子たちに兄弟の結束を求めたのは事実。実際、弘治三年、元就が61歳の時に三人に与えた教訓状が残されており、14条からなる教訓のうち1条~5条までは、くどいほどに兄弟間の連帯を説いているのである。これを見た者が、中国の「西秦録」にある話をもとに、「三本の矢」を創作したと見られている。その後の長男・隆元死後の円滑な跡目相続や、次男・元春、三男・隆景の「毛利両川」による毛利本家への貢献を見ると、元就の教えは無駄ではなかったようだ。

史実とは認められない「三本の矢」の矛盾点とは?

元就が没したのは元亀二年だが、このおよそ8年前に長男の隆元が亡くなっている。また、息子たちに与えた教訓状は弘治三年のものだが、この時すでに次男・元春は吉川家、三男・隆景は小早川家の当主になっている。こういった矛盾点から、「三本の矢」の逸話は創作ではないか、と言われている。いずれにせよ、毛利兄弟が協力体制を貫き、毛利本家を盛り立てて行ったことは事実である。

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