歴史に名を残した英雄と戦乱

HOME日本の歴史に残る英雄③ > 伊能忠敬

伊能忠敬

上総国に生まれた伊能忠敬は、17歳の頃、商家・伊能家の婿養子になると、その商才を発揮し、傾きかけていた伊能家を立て直した。50歳になった忠敬は息子に家業を譲り、学問を学ぶために江戸へと旅立った。江戸に出た忠敬は、深川黒江町に隠居場所を構え、幕府天文方高橋至時に師事し、天文学を学び始めるが、それまでの忠敬は伊能家の蔵書を読み、独学によって暦学、数学の知識を学んでいたのだ。52歳で学問生活を始めた忠敬は、天文学や測量学を学ぶと、幕府の許可を得て、寛政12年・56歳にして測量の旅へと出発した。第1回、蝦夷地より始めた測量を皮切りに、その後16年にわたり、合計10回の測量の旅を敢行した。自らの歩測による測量旅行は、トータルで測量日数が3737日、測量距離は約4万キロにも及ぶ。文政元年、病のため忠敬は没するが、その死は「大日本沿海輿地全図」が完成する3年後まで伏せられていた。

開国後に来たヨーロッパ人も驚嘆!きわめて精緻な伊能図

当時、すでに車輪の回転数で距離を計る測量車もあったが、凹凸の激しい道や砂地ではあまり役に立たず、忠敬はもっぱら歩測によって測量を行った。このときの測量で得られた緯度1度28.2里は、現在の水準でもかなり正確なもの。文久元年に来日したイギリス海軍測量艦隊隊長が、伊能図を見てその正確さに驚き、その写しをもらって沿海測量をやめ、近海の測探だけを測っていった、という逸話も残るほどだ。

トップへ