歴史に名を残した英雄と戦乱

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川中島の戦い

北信濃の領有をめぐり、1553年~64年にかけて行われた戦が、川中島の戦いだ。直情型の上杉謙信と慎重型の武田信玄が、12年・5度にわたる死闘を繰り広げる。駿河の今川氏、相模の北条氏と同盟しており、西か北に進むしかなかった信玄は、西の信濃を制し、北へ進むしかなかった。信玄に攻められた葛尾城主・村上義清ら北信濃の領主たちは謙信を慕っていたため、謙信は川中島への出陣を「不義を討つ戦い」と考えていた。最も大規模だったのが第4回目の戦い。海津城本陣の武田軍と、妻女山本陣の上杉軍のにらみ合いが続く中、信玄は「きつつきの戦法」を取る。妻女山の裏から別隊で攻撃し、前面に出たところを本隊で攻める、という算段だったが、謙信はこれを看破。そして、両軍は妻女山前の八幡原で激突。武田の別隊が戻るまでは上杉軍が有利だったが、武田別隊が戻ると戦況は一変。6時間にわたる死闘の末、上杉軍は敗退した。

双方ともに上洛はならず、天下人は夢に終わる

第4回目の戦いの後、北信濃の大半を信玄が制圧する。3年後の永禄七年、両者は再び川中島で戦うが、この時は60日にわたって対峙した後、大きな衝突がないまま両軍は兵を引く。これを最後に、信玄は日本海への進出をあきらめ、駿河湾方面に方向を変える。しかし上洛の途中、天正元年に信玄が病没し、その5年後には謙信も卒中で斃れた。共に天下人となる機会を失い、織田信長らの台頭を許すことになる。

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